トマトについて

トマトがたどってきた歴史などを見てみましょう。

どうして「トマト」って呼ぶの?

トマトという呼び名は「膨らむ果実」を意味する「トマトゥル」からきています。はるか昔、メキシコ湾をの ぞむベラクルス地方のアステカ人がこう呼んだのが始まりです。トマトゥルとは元来「ホオズキ」を指し、メキシコではホオズキを煮込んで料理に使っていたところから、形がよく似たトマトも同じ名前で呼ばれたようです。
実は、この「トマト」という呼び名ですが、イタリアでは「ポモドーロ(黄金のリンゴ)」、フランスでは「ポム・ダムール(愛のリンゴ)」、イギリスでは「ラブ・アップル(愛のリンゴ)」と、呼ばれています。

栽培の歴史

トマト(学名:Solanum lycopersicum)は、ナス目ナス科ナス属トマト種の多年草です。南米のアンデス高原(標高3000mの高地) が原産で、 アンデスでは紀元前1000年には栽培されていたという説もあるようですが、 一般には10世紀ごろメキシコに持ち込まれた野生種のトマトが栽培化されたという説が有力です。
当時トマトは有毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く最初は観賞用とされていました。 イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在のかたちとなりました。 1530年頃にスペイン人の航海家によってジャガイモと共にヨーロッパにもたらされます。 最初は観賞用として栽培されていましたが、 1600年頃から南欧諸国で煮物やケチャップとして食用に されるようになります。一般的に食用となったのは18世紀のことです。

日本人とトマトの出会い

日本には17世紀に紹介されました。ヨーロッパに持ち込まれた時と同様に真っ赤な色が 敬遠され、初めは観賞用で、食用となったのは明治以降です。
ちなみに日本で一番古いトマトの文献は、1709年に貝原益軒が『大和本草』という本の中で「唐ガキ」として紹介したもです。

出会い

色イロなトマト

果実の大きさによる分類では大玉トマト、中玉トマト(ミディトマト)、ミニトマトに分類されます。 大玉トマトの果重は200g以上、ミニトマトの果重は20~30g程度となり、この中間的な果重となるものは中玉トマトと称されます。 ただし、栽培方法によって果重は変化し、水を極力与えず高糖度化をはかると大玉の品種も果実が小さくなります。
色による分類ではピンク系と赤系と緑系に大別されます。 日本ではピンク系トマトが生食用として広く親しまれ、赤系トマトは加工用が多いようです。その他に白、黄、緑色、褐色、複色で縞模様のものもあります。果実にはゼリー状物質が満たされていますが、一部の品種ではピーマンのように中空のトマトもあります。
日本にトマトが紹介されて以来、様々な品種が栽培されるようになりました。トマトといえば「真っ赤」な色が代名詞ですが、赤色以外のトマトは日本でも栽培されています。下記の写真は左から「ブラックトマト」「グリーンゼブラ」「レモンボーイ」です。スーパーではあまり見かけませんが、お取寄せができますし、トマトを専門に扱っているレストランで食べてみるのも良さそうです。
そんな身近な食材のトマトですが、「最高級トマト」と呼ばれている品種があります。その中で代表的なものを2つご紹介します。

<徳谷トマト>
高知市一宮(いっく)徳谷地区で栽培されています。産地でさえ入手困難な希少品種だそうです。フルーツトマト最高級品で、なんと1粒1,000円です。
<高島フルーティトマト>
高島トマトの収穫量全体のわずか3%しか採れないそうです。こちらは1kg(糖度11度以上)4,800円などのキロ売りです。

興味のある方はこちらもお取寄せしてみては?

inserted by FC2 system